風水(ふうすい)とは

風水(ふうすい)とは

風水とは、大地を流れる自然の「気」の流れを利用し、幸運や幸福の獲得を目指す術法です。

起源は古代中国、太古の時代より伝えられてきた技術ですが、いつどこでだれが発明した技術なのかははっきりしていません。
それほど古くから伝えられている技術であり、学問として体系付けがされているほど研究が積み重ねられています。

風水では大地を流れる自然の気の流れのことを龍脈と呼び、様々な方法で龍脈を制御・利用することで幸福を獲得することを目指します。
その規模は非常に大規模なものであり、都市単位、国家単位で風水の技術が取り入れられることも珍しくありません。

中国最初の王朝といわれる殷では、すでに都市計画の中に風水思想が組み込まれていたといわれています。
風水では龍脈の流れを制御するためには方角が重要であるという思想があり、都市の建設に際して風水の考え方に基づいた建設がなされていたことが発掘調査や資料などで確認されています。

日本人に最もなじみ深い風水思想が「鬼門」です。
鬼門とは方位で表すと北東の法学であり、風水思想では悪い木や不幸は鬼門から流れ込むと考えられています。
そのため鬼門に邪気を払う施設や神聖なものを置くと、鬼門から流れ込む悪い気を防いで幸運がやって来るとされています。
逆に鬼門に不浄なものやけがれたものがあると悪い気がどんどん流れ込んできてしまい、やがて不幸に陥ってしまいます。

風水は中国から日本にも伝わり、日本の代表的な都市でも都市計画に風水の考え方が取り入れられています。
千年以上もの間日本の都として栄えていた京都では、京都御所を中心にして背後に山、前方に水が来るように都市がつくられており、風水の考え方に沿って建築された年であることがわかります。
鬼門の方角には鬼門封じのために赤山禅院という寺が建立され、都にやってくる悪い気を防いでいます。
そのほかにも京都の北東にある建物には、装飾として角を斬られた鬼が取り入れられており、鬼門封じに一役買っています。

江戸の町も風水に従って建築された都市であり、江戸の町を築いた徳川家康は呪術参謀である展開大僧正のアドバイスに従い、江戸城の奇問には上野寛永寺を、裏鬼門には目黒不動をはじめとする五色不動が置かれています。
そのほかさまざまな地形特性などを見ても、家康が風水を重要視していたのは明らかです。

現在では、風水は主に住宅の建設や部屋のインテリアなどに取り入れられています。
運勢の良くなる方角を調べて間取りを配置したり、小物や家具の配置によって気の流れを制御したりと、より身近で取り入れやすいスタイルの風水術が浸透しています。

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